人は「身体の時」と「精神の時」の二つの時を生きている。
そして、いずれ「身体の死」と「精神の死」の二つの「死」を迎える時が来る。この二つの「死」は一致するとは限らない。
身体は不可逆的であり、精神は可逆的である。
精神は時空を自由に遊離することが出来る。
だからこそ人は過去を振り返っては「後悔」し、未来を思っては「不安」になる。
「今この時」に留まっていられないのが人間。
すべての人は「生まれた瞬間」から、間違いなく刻一刻と「死」に向かっている。それが何時であるかに対しては「無知」である。
また、人として生まれるということは、「言語の海」に生きるということでもある。
この言語を持ったからこそ、人は「悩み、苦しみ、迷う」
人が「病む」のも必然と言える。
すべての人は「死」に向かっているにも関らず、日常を仕事や他の何かで「死」を回避しているとも言えるのではないだろうか?
「死」を考える人は、その「死」に真摯に向き合う事を自分に課した人であり、精神も「生きたい!」と叫んでいる人だと言えないだろうか?
そのときこそ、自分の内奥(無意識)に向き合うチャンスの時だと思う。精神分析の門戸に立つ時だと思う。
自分の内奥に向き合い、「生きる意味」「死」に真摯に向き合う時。
そして「生きる意味」を自らが創り出してゆくものだと、私は考えている。